「クーポンサイト・おせち事件」に続き、「新興焼肉チェーン・ユッケ事件」起こる。
・・・さんざん「ヨイショ」してきたメディアの責任は?(2011年5月4日記す。)
■一部の知識層が「日本人の劣化」を嘆くようになってから、久しい。
外食産業においても、「モラルの崩壊」が、止まらない。
■2011年(平成23年)の外食業界は、年初の「クーポンサイト・おせち事件」に始まり、
戦後最大の大惨事となった「東日本大震災」発生から間もない5月、
今度は、新興焼肉チェーンによる「ユッケ事件」が起こった。
いずれも、ニュース番組などマスメディアで連日大々的に報じられ、
消費者庁が動くなど官も巻き込んでの、大騒動となった。
特に後者は、死者2名を出したほか、その他にも重篤な症状の被害者を多数出しているようであり、
単なる「不祥事」では済まされないこと必至である。
■思い起こせば、つい数年前、老舗料亭に続き上場外食企業の店舗において「使いまわし」が発覚した時は、
筆者は、実に「大きな落胆」のもと、嘆かわしいその思いを、本コーナーでも綴ったものである。
ところが、それから幾らも経たぬうち、それとは比較にならぬほどの大事件が
立て続けに起こり・・・
前述した 「崩壊」が、加速度的に進んでいることを、実感させられる。
■ 今回の2件に共通するのは、不祥事(後者は、明らかに「事件」)を起こした企業が
(奇しくも、2社の経営者が共に、筆者と同年齢らしいことはさておき・・・)
いずれも、(事件前までの、外食業界での一部における取り上げられ方としては)
「敏腕・若手カリスマ経営者が率いる、新進気鋭・将来有望の、飲食ベンチャー企業」
という点である。
■飲食業というのは、華やかなように見えても、
本来的に、そこに存在するのは「おもてなしの心」であり、
食品を扱う以上「安全」が必須条件である。
しかるに、そこに従事する者は、経営者を含めて、徹底して「謙虚」でなければならない。
飲食店経営が、「我欲(がよく)達成のための道具」になってはいけない。
■(事件になってから知ったのだが)これら2社は、
かねてから一部のメディアでは、上述のような感じで、
「飲食起業家のお手本」・「カリスマ経営者」として、随分と取り上げられていたようである。
(今回の焼肉チェーンについては、事件発覚の数日前に、ゴールデンタイムのTV番組で
取り上げられていたようだが。ここで言っているのは、業界内での取り上げられ方の話。)
「お手本」であり、「カリスマ」であることは、事実なのかもしれないが・・・
外食業界というものを、客観的見地・中立的な立場から、公明正大に俯瞰(ふかん)しようとする場合、
10店舗〜20店舗を経営するチェーンというのは、
「特別に際立って・抜きん出た」存在では、全くないというのも、より明白な事実だ。
■メディアというものは、定期的に情報を更新し続けなければならないのだろうし
(まあ、このサイトも一応は、メディアではあるのだが) 、
将来有望そうな若手経営者とは、「大化けして、手が届かなくなってしまう前に」
コネを作っておきたいのであろうが・・・
「過剰なヨイショ」が、これら若手経営者から、
「謙虚さ」を奪い、その「慢心」の醸成に少なからず作用したとはいえまいか。
さらに言えば、
飲食ベンチャーの経営において今、より大事なのは、
「飲食店運営の、ノウハウ、メソッド」ではなく、
一般の社会通念に基づく常識的な感覚・良識や、
上述したようなことなど、もっと別のものなのではないか。
(2011年5月4日記す。)
【追記】(2011.05.20)
■その後、死者は4名となった。また、重篤な症状の被害者は、依然多い模様。
■一方で、
「卸売の段階で菌が付着していた」、「卸売(食肉)業者が、生食用・店舗でのトリミング不要として出荷した」、
などの報道が次々になされると、
世論は一転して、「本当の悪は食肉業者で、焼肉店側はむしろ被害者」、
という方向に大きく傾いていった。
■ しかし、
飲食店や小売店には、「最終消費者との接点としての責任」がある。
安全・安心なものを提供するというのは、「最低限の義務」であり、
今回の場合も、「卸が安全といったから」といって責任を免れるものではなかろう。
■そもそも、流通システムにおいて、
川上から流れてきたものに、付加価値をつけて最終消費者へと提供するのが、
飲食業・小売業の果たすべき役割である。
仕入れてきたものを、「ただ単にスルー」しているだけでは、
そこに存在価値はない。
まして、それで死者を出すといような「甚大なマイナスの付加価値」を付けているのでは、
その存在価値は、「ない」どころか、 「計りようのない甚大な、マイナス」である。
written byフードビジネス総合研究所